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なぜ何も存在しないのではなく何かが存在しているのか

佐野白羚による日毎掲載の随想・雑記

鈴カステラを安く買って濃い目の紅茶と一緒に食う。それだけで幸せなのだ。

 

椎名誠風の文章はもう流行らなくなったな。椎名誠って知っていますか。

のだ、のだ、のだ、連発する人ね。すくなくとも私の印象はそうしたもの。

 

今日は何もしたくないので本だけを読んで過ごす。加藤尚武著『ジョークの哲学』。

久し振りに外出する。やたら億劫だったからね。歩きたかったからというのもある。歩くと足の血巡りが多少よくなる。だから、うつ病とかそういう陰湿なものが絡んでいるわけではない。

人間は別段動かなくたっていいのだ。死ぬまで寝ていたいという人も少なくないと思う。だから半年中外出しないのもありと思う。半年ばかりか永久に閉じこもっていてもいい。

パスカルだったかな、人間の被るあらゆる災厄は部屋を出ることによって起こる。

至言だね。けれども家を出なくたって災厄に見舞われることがある。隣人の騒音がそれであり体調異変がそれ。気分の鬱屈も時々ある。

人間は生きている限り災厄続きなのだ。

でかくきたね。これ本当よ。

部屋にばかりいると密室神経症になるし、さりとて外出すると不愉快な人間に遭遇したり面倒なトラブルに巻き込まれる。「自動」車と呼ばれている重量級の移動凶器もびゅんびゅん行き交っているから危険極まる。

 

どうしたらよいのか。もう出口なしではあるまいか。

まずは考えることだ。災厄続きの人間世界の存在根拠を考え抜くことだ。自殺は考え抜いてからでもいいではないか、と思うことにしている。こういうときは思考停止か徹底した思索に限るのだ。

いったい、食わないと生きられないこの生物条件は過酷なものではないか。病気が初期設定である人間の、この理不尽さ。

 

しかし鈴カステラは美味しいですね。廉売紅茶もこの際悪くない(いずれカフェイン注入が目的だから)

これで好みの美少年を見ることが出来たら、もう死んでもよいのだけれどな。